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広報誌 ネット&ライン No.103 2004 冬号
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ITのもたらすもの
―国際交流の現場から―
染織家 所  鳳弘

 

被災地の子供たちと携帯電話
 1999年10月にトルコの西部でM7.6の大地震が発生しました。その7か月後にドイツ州政府の依頼で被災地を訪問することになりました。親を亡くし、引き取ってもらうところもないテント暮らしの子供達と1週間、寝食を共にしながら草木染や組紐を学ぶという企画です。「あたたかい毛布や食料援助の方が良いのでは。」と問うと、「こんな時だからこそ美しいものに直に触れさせたい」と言われ、被災地入りを決心しました。
 暗いまなざしで口を利かない子。地震に襲われた深夜の3時になると毎夜うなされる男の子。倒壊した家の下敷きになり、左足と左腕を失った13才の少女など21人です。予定の1週間はアッという間に過ぎました。別れの朝、子供達から手渡された手紙。それには「どんなに辛く悲しいことがあっても、お日様は毎朝わたし達を照らしてくれる。」と書かれていました。この手紙は、以来私の宝物です。

トルコブルーに染まった藍染ハンカチを手にする被災児
トルコブルーに染まった藍染ハンカチを手にする被災児

 この特別な体験の中で、大変印象に残ったことがあります。子供達が最も大切にしていた物。それは、国から支給された携帯電話だったのです。親も身寄りも失って、誰からもかかってくるあてもない携帯電話をまるで「お守り」のように、肌身離さず持っていたのです。IT時代の現場を目の当たりにしたような不思議な感じを禁じえませんでした。災害事態の真っ只中にも、確実にIT時代は到来しているのです。

紙は、数世紀もの間、情報伝達の主役だった
 何世紀もの長きにわたって、情報の基本は紙でした。16世紀の半ば、キリスト教が伝来し、日本に初めて印刷機が導入されました。文書による情報の伝達が普及していったのです。日本における紙の歴史は、西欧諸国から比べると300年ほど古いといわれています。日本は当時、紙が庶民の間でも豊富に使われるようになったため、識字率も高くなったのでしょう。墨と紙の組み合わせから印刷機と紙へと変わっていったのですから、鬼に金棒です。遠い異国の地にありながら、紙による印刷物は、キリスト教普及のために大いに役立ったものと思われます。
 外国との交流には、伝えたい物や心があります。それを相手に伝えるための種を蒔き、耕すためには、土壌に合う種子と耕すための道具があったほうがよりすぐれた収穫を得ることができます。道具は、言葉であったり、文字であったりするわけですが、その道具は長い間、紙が基本になったのです。
 手紙、新聞、書籍、雑誌、私文書、公文書等、その多くは文字と紙によって情報は伝達されてきたのです。まさに紙が主役だったのです。ところが今、主役は、急速にITに変わりつつあります。

ヨーロッパでの組紐・染め講座の変容
 私は30年間に渡って毎年、ヨーロッパで組紐・染め講座を開いています。ドイツでは、ほぼ10数年前にパソコンの導入が話題になりました。当時、企業人も大学関係者も大半の人が、「これ以上仕事を増やしたくない」と消極的な反応を示していました。ところが、ここ数年前からのパソコンの普及はめざましいものがあります。特に、家庭の中までしっかり浸透していることには、目を見張るものがあります。

ドイツ受講生の作品
ドイツ受講生の作品

 ヨーロッパ各国で開催する私の仕事にも、その波及効果が如実にあらわれています。ケルンの講習会が始まったのは24年前でした。最初の年の受講生は7名で、満席の30名になるまでには6年かかりました。ところが、4年前から始めたベルリンでは、2年目にしてすでに満席になりました。その上、ドイツ国内だけでなくベルギー、フランスなど周辺諸国に広がりをみせ、受講生も多くなりました。
 また、日本の伝統工芸に関心を寄せるほど余裕がないと思われてきた東欧の国からの講座開催要請も年々多くなってきました。20年前には、考えられない反応が起こっているのです。現在、7か国で定期的に講習を行い、受講者数は間もなく合わせて1万人を超えます。これにはインターネットによる情報が大きく影響していると思われます。世界中のあらゆる分野で、ITを中心に動き、それに依存していることだけは間違いないようです。

 

子供達で賑わうケルン春休み講座
子供達で賑わうケルン春休み講座

日常生活の延長線上の議論だけでよいのか
 国際交流をする上で、手紙、電話、FAXも必要ですが、格段の速度と低価格は何んといってもインターネットにはかないません。数年も経てば、ITなしに日常の生活を送ることさえ難しくなるかもしれません。その一方で、日常生活の延長線上で速度とか、価格とか、利便性とかだけが目に付くのですが、IT革命とは、ただそれだけのことなのかという疑問も持ちます。
 革命といわれるのですから、それだけで止まるものではなさそうです。人間のすべての分野で根底的な変革が待ち受けているのかも知れません。近視眼的な議論に満足してはいけないのかもしれません。

ITと手仕事の相違
 組紐は長い間、ひとり1人の手から手へとその技術を伝えてきました。コンピュータの普及で、かなりの部分で手が省けるようになりました。何年もかかった古い組紐の復元も、コンピュータで解明できたり、大量に生産することも可能になりました。
 しかし、コンピュータによって組紐を組ませると、正確に柄を出すことも、組目を揃えることもできるのですが、不思議なことに、完成した作品には何か欠けるものがあります。正確に組まれていますが、手組みのような風合いがない。手加減による微妙な「抜き」、「間」から生まれる作品としての味が醸し出されていないのです。それは、ちょうど車のハンドルに「遊び」が必要であることに似ています。

コミュニケーションの根底的変化
 「IT」によって、世の中の情報の流れが大きく変わりつつあることは、誰もが感じているところです。しかし、情報を持つ人と持たない人、あるいは持てない人との間の格差は広がりつつあります。それはともすれば、その人たちの生活の格差にもつながってくることになるかも知れません。
 また、際限なくあふれる情報の中から、正しいもの、自分にとって本当に必要なものを見分ける目も不可欠です。
 「情報」という言葉が頻繁に使われていますが、使われているわりには、その意味は定まっていないような気がします。未知のものを既知にするものが情報であるとされることがありますが、「生命にとって意味あるもの、価値あるものはすべて情報だと言える。つまり情報は…生命の発生とともに誕生した」と言う人もいます。(西垣通「IT革命」岩波新書)。
 私達の生命にとって意味あり、価値ある情報を見分ける目を養っていくことが大切です。
 これから先、どのような社会になるのか、日常の生活がどのように変わっていくのか、予測することは難しいと思われます。
 また、ITによって人間と人間を結ぶコミュニケーションのあり方も根底的に変わってくるようにも思います。

コンピュータで自在に出来る組み模様
コンピュータで自在に出来る組み模様