| 広報誌 ネット&ライン>No.94 | 最新号 | バックナンバー | ||||||
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私の机の中には算盤があります。職員で算盤を持っているのは、私以外にはいないだろう。現在では、ほとんど利用していないが、手放すことはできない。期間計算には算盤は便利で、周囲を見ながら机の中から取り出し、小さくなって計算している。 昭和44年に村職員となり、最初は総務課税務関係事務とコピー焼き、ガリ版印刷の手伝い、加減算は算盤、乗除算は「ガチャガチャジャリジャリチーン」のにぎやかな音がする手動式の計算機であった。 固定資産税の算定から評価替、概要調書作成、住民税の計算、課税状況調べには、算盤とこの計算機が使われた。その後は、光電管方式の大きい電子計算機に変わり、気分ものでよく入退院をしていたことを記憶している。 昭和48年に衛生・国保関係事務を持って住民課に異動した。国保税は「税」というものの、税率は町村によって異なり、試算する期間が短く、税率の決定には大変苦慮した。 昭和50年に入り、保険税算定も行政情報センターに委託した。飛騨の事務所(当時は飛騨出張所)が高山市森下町にあるころで、最新の電子計算機が古びた木造の建物に設置してあり、事務室も狭く、不釣り合いの感じだった。 電算の委託業務に携わるのは初めてのことであったが、国保税率の算定には幾度となく試算を行うことができ、積算事務から解放された。その後、国保連合会にも電子計算機が導入されるようになり、被保険者証の作成、納税通知書・納付書等の作成から解放されたが、電子計算機使用料・委託料の高額なることも驚いた。現在月報や、月割課税等の計算は電算処理任せとなり、事務担当者がこの計算の仕組みを理解して委託しているのか、ふと不安に思うときがある。 昭和63年6月総務課へ異動となり、いきなり決算統計事務に・・・歳入歳出簿から内容を分類して縦に横に集計し、様式に数値を書き込んで完成はしたが、突号表の多いことにビックリした。この様式を考えた人を恨んだ。決算統計は、作成期間が短く、鮎の解禁となっても川へも行けず、布団の中へ入っても頭の中を数字が走り回る日が続いた。 平成元年に予算編成・執行管理のパソコンシステムの導入が決定した。システムは、村の要望がどれだけでも可能な民間についても検討したが、最終的に振興補助金が可能な行政情報センターのシステム導入となった。決算統計にも活用できるよう当初入力を細かくしたが、執行の段階で活かされず決算統計事務には大幅な修正が必要となった。 平成9年に庁内LAN整備と職員一人1台のパソコン整備を計画し、これを機に財務を民間のシステムを導入することとなった。 平成12年度には、一人1台のパソコン整備ができ、グループウエアーによる出退庁表示、行動予定、公用車、公共施設予約、電子会議等に活用されつつある。 平成13年5月には、各職員にメールアドレスを配布し、運用方法等について研修した。近い将来には住民との対応に大いに活用できるものと期待している。 私のIT(?)の経歴といえば昭和の時代に約4万円でポケコンを購入し、個人別の人件費の積算に利用したが、活用期間は短かった。 平成元年に職場にも導入されていたワープロ「書院」を13万円で購入した。フロッピーを持ち帰って家で仕事をすることが多かった。表計算の利用による人件費等の算出は便利だったが、打ち出しには相当時間が掛かった。 平成10年にNECノートパソコンを34万円で購入した。機能の全てを利用するには至らないが、メールアドレスも取得して仕事に、遊びに、親子共々利用している。 20世紀は人間が作り出した「力(機械)」によって開発・開拓が行われ、裕福になったことや、便利になった反面、環境破壊・戦争につながった。21世紀は情報の機器の進歩により、頭脳を持ったロボットに支配されるというような想像もつかない出来事が起きるかもしれない。 この世の中、進歩・発展し続けるのも良いが、人間としての生き方を見つめ直す時期に来ているのではと思っている。 | ||||
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南飛騨 ま ぜ
水の郷(当時の国土庁認定) |